岡崎 武志

第16回 永井荷風が小鳥を飼っていた

 新潮社とんぼの本、永井ながい永光ひさみつ・水野恵美子・坂本真典まさふみ『永井荷風 ひとり暮らしの贅沢』(以後『ひとり暮らし』と表記)は、わりあいいつも身近において、ときどき開いて読む。写真もきれい。
 永井荷風(1879~1959)という日本近代文学史上において特筆すべき文豪を、「ひとり暮らし」という視点からつぶさに紹介している。ひと言で言えば、その徹底した合理性に根差した個人主義があっぱれ、かつ何か清々しい。荷風に比べたら、なんと我々は……というより私は、日々の生活の中でさまざまな障壁の前に萎縮し、忖度した行動を取り、神経をすり減らして生きていることか、とため息をつきたくなるのである。いや、ほんと。
 荷風は2度の結婚(離婚)を経て、麹町三番町の妓を見受けして同居するも数年でこれも離縁し、50代半ば以降、死までひとり暮らしを貫いた。金銭に十分な余裕がありつつ、女中や下働きを雇うこともしなかった。戦後、千葉・市川市に長く住むが、「偏奇館では使っていたガスと電話を、今度はひかなかった。(中略)衣類、本、生活用品も、必要なものだけを揃え、物が少ないから収納も家具もいらない」(『ひとり暮らし』)というありさまだったという。莫大な資産を持ちながら、晩年、昼はいつも近所の大衆食堂「大黒屋」でカツ丼を判を捺したように食べ続けたことも有名。
「莫大な資産」とは、長男として永井家から相続した遺産であり(「元金には手をつけず、利子や株の配当で十分暮らせた」(『ひとり暮らし』)、また戦後の全集ブームにより多額の印税が振り込まれたのである。それでいて「無駄な買い物は一切しなかったし、必要がなければ、お茶一杯人に奢ることもなかった」(前同)というから、繰り返すが「徹底」している。
 そんな中、私が『ひとり暮らし』で目を止めたのが、本文随所に挟み込まれたコラムの一つ「『荷風散人年七十一』小鳥を飼う」だった。すべての無駄を省いて、極力お金を使わなかった荷風が、永続して小鳥を飼う習慣を捨てなかった。それも高額の小鳥を店で買うこともした。これは『断腸亭日乗』の一節。
「昭和二十四年十月十三日。毎月寄贈の出版物を古本屋に売りて三千余円を得たれば午後銀座千疋屋に赴き一昨日見たりし小禽を買ふ(以下略)」
『ひとり暮らし』によれば、銀座「千疋屋」と言えば老舗高級フルーツパーラー(私は三十年近く前、ここでコント赤信号のリーダー・渡辺正行に取材している)だが、観葉植物で飾られた関係から「熱帯魚や南国の鳥をその中で飼い、販売もしていた」というのだ。現在、同店で鳥の販売はされていないはずで、つまりある時期までそのような需要があったことを示している。
 ところで、古本屋に売って得た「三千余円」だが、昭和24年の公務員初任給が4000円強。単純な換算はできないが、現在、その15~16倍くらいの物価と考えて5万円ぐらいと考えて当たらずとも遠からずかと。小鳥の値段の相場など、さっぱりわからないが、いやけっこうするものです。
今でも小鳥を飼っている?
 さて、そこで考えるのは、この「小鳥を飼う」という趣味についてである。私はこれまでにおいて飼ったことはない。娘が小さい時、ハムスターと金魚を飼っていたが長じてその習慣はなくなった。父母のいた実家でも記憶にない。ところが、映画やドラマ、あるいは本の中で、意識すると、けっこう家の中で鳥かごに入れて小鳥を飼う場面が登場する。文学でもっとも有名なのは夏目漱石「文鳥」であろうか。国語教科書にも採択され、よく読まれ、また名文である。弟子の内田百閒も鳥を飼う写真を目にしたことがある。
 いやいや、こうしたことは必ず専門家がいるはずで、うかつに書くのは危険である。あくまで思いつくまま「小鳥を飼う」趣味について言及したい。というのも、昭和40年代くらいまでか、実用書として「小鳥の飼い方(飼育法)」といった本がよく出ていたらしく、古本市などでよく目にするのだ。私のイメージでは小鳥を飼う家イコール金持ち。
 小鳥を愛玩した作家に川端康成がいる。「禽獣きんじゅう」という作品もある。太宰治が第1回芥川賞に候補となりながら落選した時、川端の選評「作者目下の生活に厭な雲あり」に怒り狂い「小鳥を飼い、舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか」と嚙みついた。私はこのやり取りを思い出す時、いつも笑ってしまう。「小鳥を飼う」ことは、日々餌をやり、水を差し、鳥かごを清掃するなど手間と余分なお金がかかる。荷風の例を見ても、ショップで買うにしてもそんなに安くはなさそうだ。高級な趣味なのである。
 いったい、平成、令和の世に、一般家庭で小鳥を飼う習慣はありやなしや。日頃、一般家庭に本の買い取りで出入りする知人の古本屋にリサーチしてみた。「どうかな、買い取りに行って家の中に入るでしょう? その時、玄関の下駄箱の上や、居間で鳥かごを見たことあるかな」と質問したところ、いずれも「いやあ、ちょっと覚えがないですね」とのことだった。ペットの種類が小鳥以外に増えた(蛇や爬虫類など)こともあるか。
 テレビの散歩番組を見ていたら、東京・自由が丘のペットショップが映った。戦後の闇市から発展した「ひかり街」というレトロビル内に「鈴木鳥獣店」がある。「鳥獣店」を映像で見るのはこれが初めてかもしれない。へえ、今でもあるんだと驚いたのだ。同店は戦前からの営業で、カナリヤなど輸出もしていたとのこと。画面にチラリと映った高級小鳥のお値段は文鳥が98000円、セキセイインコが25000円とかなりお高い。荷風が千疋屋で買った小鳥の値段(現在の5万円)と符合している。しかし、もっと手ごろな小鳥もあるだろう。
 急いで付け加えておけば、私の知るもっとも貧しい者が小鳥を飼う例は、つげ義春「チーコ」(『月刊漫画ガロ』1966年3月号)。夫は漫画家、妻はバーで働く貧しい若夫婦が、たった一つの贅沢として駅前の鳥店で文鳥を買う。これが600円(現在の5000円くらいか)。安い鳥かご200円。妻はこれに「チーコ」と名付けるが、疎んじる夫はこれを死なせてしまうのだ。またフランク永井「こいさんのラブ・コール」(1958年)に「手乗り文鳥」が登場する。参考例が少なすぎると批判されるかもしれないが、どうやら昭和で言えば40年代あたりまでが「小鳥を飼う」趣味が流行した下限ではないか。荷風はその真っ只中にいた。
(写真は全て筆者撮影)

『ドク・ホリディが暗誦するハムレット オカタケのお気軽ライフ』(春陽堂書店)岡崎武志・著
書評家・古本ライターの岡崎武志さん新作エッセイ! 古本屋めぐりや散歩、古い映画の鑑賞、ライターの仕事……さまざまな出来事を通じて感じた書評家・古本ライターのオカタケさんの日々がエッセイになりました。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
2023年春、YouTubeチャンネル「岡崎武志OKATAKEの放課後の雑談チャンネル」開設。