岡崎 武志

第20回 無着成恭編『山びこ学校』

 今年1月16日付「朝日新聞」朝刊1面のコラム「折々のことば」(鷲田清一)に、拙著『人生の腕前』が取り上げられた。抜き出された言葉は「何事も、苦難の解決法は自分の中に潜んでいる」で、木山きやま捷平しょうへいについて書いた文章からだった。なにしろ1面の目立つ場所の囲みコラムで購読率も高い。複数の編集者から採用されたことのご注進や祝辞(?)が届いた。「朝日新聞」は、編集業界でまだまだ影響力があります。これで火がつき増刷……を期待したいが、難しいだろうな。
 この件に関しては、思いがけず中学時代の恩師からも電話をもらった。中3の担任で国語を教えてくれていたU先生で、私がのち国語教師になるについて影響のあった人だった。電話口で興奮し、記事を読んで「おかざきくん、すごいなあ。知り合いにもみんなこのこと言いふらしてるんや、このおかざきという人は私の教え子です、って」とおっしゃってくれた。「ありがとうございます」と恐縮しながら返答し、一段落したところで「ちょうどよかった、先生に聞きたいことがあったんです」と言った。
 それはU先生担任時代、クラスに途中から女子の転校生があり、先生が「〇〇さんは、みんな知ってるかなあ、あの『山びこ学校』の中学校から転校してきました」と紹介した。そのことが妙に記憶に残っていたが、真偽が定かでない。私の記憶がどこかで混線したのかもしれない。そのことを、先生に確かめたかったが「うーん、そんなことあったかな。いや、悪いなあ、覚えてません」とのこと。するとやはり私の記憶違いか。
 とにかく、そのことで『山びこ学校』って何だったのか、ぼんやりとした知識をこの際、固めておこうと動き出した。まず、本を入手。現在、岩波文庫に収録されている。私の記憶では角川文庫に入っていた。しかしこれはずいぶん前に品切れとなった。次に映画。『山びこ学校』は今井正監督、木村功主演で映画化、1952年に公開された。検索するとユーチューブで全編を視聴可能で、ざっと概要をつかむためにこれをさっそく見る。
 無料だから仕方ないが、プリントの状態は悪く、セリフがところどころ聞き取れない。おまけに約6分ごとに広告CMが入る。厳しい視聴条件となったが、あとで原作を読むと、かなり忠実な映像化がなされていたと分かる。木村功が無着先生を好演(坊主刈りにして)。ほか、岡田英次、滝沢修、杉葉子、北林きたばやし谷栄たにえなどが助演と手堅いキャストだ。

 教師不信の子どもたちに若い教師が作文教育で目を開かせる。
「山びこ学校」は、1948年に奥深い山村の山形県村山郡山元村の中学校に、師範学校を出たての若い教師・無着むちゃく成恭せいきょうが赴任したことから始まる。前年に新教育制度が発足したものの、戦後の荒廃が後を引き、校舎や教科書などの整備は遅れていた。「山の民主主義」というタイトルで『山びこ学校』を論じた関川夏央『砂のように眠る』(新潮文庫)によれば、当時「ぼくを小学校に落第させてください」という中学生がいたという。小学校には給食があるからだった。
 山形からさらにバスで1時間の山元村は寒村で、収入の中心は葉煙草ぐらい。家族全員で働きづめでも生きるのにぎりぎりであった。一家の働き手として、学校へはろくに通えぬ子どももいた。教師も投げやりになり、山元小学校6年間で、11人もの教師が変わった。子どもたちも教師とはそんなものだと思っていた。何か命じられても「勝手だべ」と答えるのが常で、この言葉が生徒間で蔓延していた。
 そこへ現れたのが無着先生だった。1年はひとクラスで43名。どうせこの先生も(すぐにいなくなる)と思ったら、以後6年間、この中学にとどまり、生きた社会化教育として「綴方つづりかた」(詩と作文)を取り入れた。これを集めたガリ刷りの文集「きかんしゃ」が『山びこ学校』というタイトルで出版、評判を呼びベストセラーとなっていく。
「綴方教育」は無着の発明ではない。綴方を書かせることで、生活と向かわせ考えさせる。そんな教化きょうげ法が、大正期、鈴木三重吉の『赤い鳥』を中心に流行し、1929年には『綴方生活』という雑誌まで創刊され全国に広まる。こちらも映画化された、東京下町の小学生・豊田正子『綴方教室』もその成果の一つ(こちらも岩波文庫に収録)。
 それまで漫然と書かせてきた綴方に、若い教師が方向性を与えた。
「目的のない綴方指導から、現実の生活について討議し、考え、行動までも押し進めるための綴方指導へと移っていったのです。生活を勉強するための、ほんものの社会科をするための綴方を書くようになったのです」(『山びこ学校』あとがき)
 映画でもよく分かるが、無着は生徒にああしろ、こうしろと命じない。農村生活のいかなる問題についても、どうすればいいかを子どもたちで考えさせ、討議し、自分たちで解決法を導き出させる。


『山びこ学校』について語る時、必ずといっていいほど取り上げられる江口江一こういち「母の死とその後」は「綴方」運動が生んだ美しい成果で、映画でも生かされていたが感動的だ。本の中でも、石井敏雄の詩「雪」(雪がコンコン降る。/人間は/その下で暮しているのです。)の次、文章では巻頭に据えられている。
 江口は貧しい葉煙草農家で、6歳の時に父親を失い、働き頭となった母親も9年後(1949年)死んでしまう。父の死の際に残った借金は、母の死に至ってさらに増えていた。弟と妹は親戚の家に引き取られ、江一は祖母と二人暮らしになり働き手の中心となり、学校へ行けなくなっていた。どうすれば学校へ来られるようになるか。そのことを計画的に考えさせたのが「母の死とその後」だった。本作は文部大臣賞を受賞。
「僕の家は貧乏で、山元村の中でもいちばんぐらい貧乏です。そして明日はお母さんの三十五日ですから、いろいろお母さんのことや家のことなど考えられてきてなりません」
 そう書き出された文章は、感傷に濡れず、恨みもひがみもせず、驚くほど冷静に自分と、自分の家を経済を見つめている。江一はなおもこう書いた。
「ほんとうに心の底から笑ったことのない人、心の底から笑うことを知らなかった人、それは僕のお母さんです」
 そんな母親が死ぬ間際に笑った。
(写真は全て筆者撮影)

『ドク・ホリディが暗誦するハムレット オカタケのお気軽ライフ』(春陽堂書店)岡崎武志・著
書評家・古本ライターの岡崎武志さん新作エッセイ! 古本屋めぐりや散歩、古い映画の鑑賞、ライターの仕事……さまざまな出来事を通じて感じた書評家・古本ライターのオカタケさんの日々がエッセイになりました。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
2023年春、YouTubeチャンネル「岡崎武志OKATAKEの放課後の雑談チャンネル」開設。