スポーツ文化評論家 玉木正之

2020年の東京オリンピックに向けて、スポーツを知的に楽しむために── 
数多くのTV番組に出演し、多岐に渡って活躍するスポーツ評論家の玉木正之さんが、文化としてのスポーツの魅力を解き明かす。


アメフトの距離はメジャーで計り、
サッカーやラグビーは目分量?
 ヨーロッパの人々がアメリカへ移住を開始したのは1620年11月。ピルグリム・ファーザーズ(巡礼始祖)と呼ばれる清教徒たち102人が、キリスト教徒にとっての理想的な社会を建設しようという目的で、イギリスから北アメリカ東海岸(現在のマサチューセッツ州プリマス付近)に渡り、植民を開始した。
 そのときに、ヨーロッパのスポーツ文化も一緒に、アメリカの地に渡ったはずだ。はっきりと資料に残されているわけではないが、当時のイギリスやフランスといったヨーロッパ大陸で、祝祭日に盛んに行われていたフットボール(フランスでラ・シュール、イギリスでマス・フットボール、モブ・フットボールなどと呼ばれていた球戯)を、植民者たちが知らないわけはない。彼らの後を追って続々と移住してきた人々のなかにも、おそらくフットボールで遊びたいと思っていた人は少なからずいたに違いない。
 が、北アメリカという地域は、痩せた土地が多く、砂漠地帯も広がっており、おまけにインディアンと呼ばれたアメリカ先住民たちとの戦いも繰り返され、とてもフットボールを楽しめるような環境ではなかった。当時のフットボールで使用されたボールは、牛や豚の膀胱を膨らませたものが用いられていた。そのため、日々の生活が厳しかった北アメリカの移住者たちは、食料にもなる牛や豚の膀胱で遊ぶことなどできなかっただろう。
 北米では、長いあいだ大きなボールを作ることが容易ではなく、生活にゆとりが出始めた17世紀後半頃には、糸を巻いて作る小さなボールを棒で打つ、ゴールボール、タウンボール、ベースボールなどと呼ばれるイギリス生まれのボールゲームが流行するようになった。
 南米への移住では、16世紀後半頃からスペイン人やポルトガル人たちによるアルゼンチン、ウルグアイ、ブラジル南部の豊かなパンパ地帯(ラプラタ川流域における広大な草原地帯)での牛や馬の放牧、豚の飼育などが盛んになり、間もなくその膀胱を使ってのフットボールも行われるようになった。さらに熱帯雨林地帯からゴムの木も発見されて、ゴムを皮で包む大きなボールも容易に作られるようになり、フットボールが盛んに行われるようになったという。
 現在も、南米では主にサッカー、北米ではベースボールが盛んなのも、そのあたりにルーツを求められそうだ。メキシコ、ベネズエラといった中米では、南北両方の影響を受け、どちらも盛んといえそうだ。
 北米のベースボールが一気に発展するのは南北戦争(1861~1865年)の頃からで、1845年にアレキサンダー・カートライトII世がルールを確定したベースボールは南北戦争をきっかけに、北軍の兵士から南軍の兵士へと伝えられ、アメリカ全土で楽しまれるようになったという。南北戦争(アメリカの南北統一)後には、アメリカの人々のあいだにパトリオティズム(愛国主義)やナショナリズム(国家意識、国家主義)が昂揚し、スポーツの世界でもヨーロッパ生まれのものではないアメリカ独自のゲームを作ろうとする動きが活発になる。そして、バスケットボール、アメリカンフットボール、バレーボールなどのボールゲームが生み出され、人気を博するようになった。カナダ生まれのアイスホッケーも人気が出たようだ。
 そのとき少々困った事態に陥ったのはベースボールだ。ベースボールは独立戦争で敵だったイギリス生まれのボールゲームではないか。そんな疑惑や非難の声が高まるようになったのだ。当時のアメリカのベースボールは、すでに現在のMLB (メジャーリーグ・ベースボール)につながるやNL(ナショナル・リーグ、1876年~)やAL(アメリカン・リーグ、1901年~)も誕生していた。そこで、1905年にMLBとアメリカ連邦議会上院が、この疑惑に応えるために「ベースボールの起源調査委員会」を発足、調査を開始した。結果、「ベースボールは1839年にニューヨーク州クーパーズタウンで、のちに北軍の将軍となるアブナ―・ダブルデイ(1819~1893)が始めたアメリカ生まれのボールゲームである」との調査結果を公表する。
 この調査結果は、調査委員長だったアルバート・スポルディング(1849~1915/現在もその名を残すスポーツ用品メーカーの創設者)がダブルデイ将軍と親戚だったこともあり、結構アヤシイものというほかなかった。だが、クーパーズタウンという美しい街にはいまもメジャーリーグの野球殿堂(Hall of Fame)があり、多くのひとびとがその「神話」を、「神話」として愛しているのだ。
 ベースボールが「神話」以上にアメリカ的であることも確かだ。それは、ピンチヒッター(代打)やピンチランナー(代走)、投手交代など、先発選手に代わって多くの選手が交代(メンバーチェンジ)して出場できることでもわかる。
 ヨーロッパ生まれのボールゲームは、サッカーにせよラグビーにせよ、誕生した(ルールが明確になった)直後から第二次大戦後まで、たとえケガをしても一切のメンバーチェンジが認められなかった。先発選手は、選ばれたエリートとして、最後までプレイすることが義務とされていた。
 そんなヨーロッパのエリート主義を、アメリカ人たちは、みんなで、少しでも多くのひとで、楽しめるスポーツに変更したのだ。痩せた土地を苦労して耕し、みんなで協力して新しい街を作ったアメリカ人は、アメリカ式民主主義(アメリカン・デモクラシー)の社会を建設した。そのやり方をスポーツにも取り入れたのだ。
 ヨーロッパ生まれのサッカーやラグビーの試合時間は、レフェリー(主審)が持っている一個の腕時計で決定される。が、アメリカンフットボールやバスケットボールの試合時間は、観客の誰にも見える場所に備えられた大きな時計で、みんなにわかるようになっている。
 サッカーのフリーキックのときは、相手選手がボールから離れる距離を測るのに、主審は目分量で10ヤード(9.14メートル)を測る。いっぽうで、アメリカンフットボールの攻撃で、10ヤード進んだかどうか(攻撃権が新しく更新されるかどうか)微妙な判定になれば、10ヤードの長さのヤードチェーンで測ることになっている。
 またアメリカ生まれの球戯はすべて、ベースボールもアメリカンフットボールもバスケットボールもバレーボールも、審判がすべて複数いる。判定の難しいときは、その複数の審判が話し合って決めるのだ。しかしサッカーやラグビーは、最終的に一人の主審が判断する。
 このあたりも、アメリカン・デモクラシーとヨーロッパの君主制度(啓蒙専制君主)の違いといえるかもしれない。
ヨーロッパ生まれの球戯も、最近はメンバー交代の人数が徐々に増えてきたり、サッカーのアディショナル・タイムが表示されたり、ラグビーの最後のワンプレイがブザーで知らされるなど、徐々にアメリカン・デモクラシー型スポーツに近づいてきたといえそうだ。それだけにヨーロッパの伝統を守ろうとするサッカー・ファンは、新たな「正確な30分ハーフ制」=「時間公表制」のようなアメリカ型にまた一歩近づくことに強く反対しているのかもしれない。


『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう!』(春陽堂書店) 玉木正之(著)
本のサイズ:四六判/並製
発行日:2020/2/28
ISBN:978-4-394-99001-7
価格:1,650 円(税込)

この記事を書いた人

玉木正之(たまき・まさゆき)
スポーツ&音楽評論家。1952年4月6日、京都市生まれ。東京大学教養学部中退。現在は、横浜桐蔭大学客員教授、静岡文化芸術大学客員教授、石巻専修大学客員教授、立教大学大学院非常勤講師、 立教大学非常勤講師、筑波大学非常勤講師を務める。
ミニコミ出版の編集者等を経てフリーの雑誌記者(小学館『GORO』)になる。その後、スポーツライター、音楽評論家、小説家、放送作家として活躍。雑誌『朝日ジャーナル』『オール讀物』『ナンバー』『サンデー毎日』『音楽の友』『レコード藝術』『CDジャーナル』等の雑誌や、朝日、毎日、産経、日経各紙で、連載コラム、小説、音楽評論、スポーツ・コラムを執筆。数多くのTV番組にも出演。ラジオではレギュラー・ディスクジョッキーも務める。著書多数。
http://www.tamakimasayuki.com/libro.htm
イラスト/SUMMER HOUSE
イラストレーター。書籍・広告等のイラストを中心に、現在は映像やアートディレクションを含め活動。
http://smmrhouse.com