ネット通販の普及と活字離れの影響で、昔ながらの街の本屋さんが次々と姿を消しています。本を取り巻く環境が大きく変わりつつある今、注目されているのが新たな流れ“サードウェーブ”ともいえる「独立系書店」です。独自の視点や感性で、個性ある選書をする“新たな街の本屋さん”は、何を目指し、どのような店づくりをしているのでしょうか。



【連載37】
日本でも、旅が文化のひとつとなるように
旅の本屋のまど(東京・西荻窪)川田 正和さん

「駅前に本屋が1軒もない」という街もあるなかで、西荻窪には昔ながらの新刊書店から個性的な独立系書店まで、実にさまざまなタイプの本屋さんがあります。そんな西荻窪で“旅”に特化した本屋という唯一無二の存在感を放っているのが「旅の本屋のまど」。2007年7月に店を構えて以来、旅の準備や世界各地の情報を仕入れようとする好奇心旺盛な人がたくさん訪れています。この店の成り立ちや旅の魅力、そしてコロナ禍のいま思うことを、店長の川田正和さんにお聞きします。
── そもそも川田さんが“旅の本屋”をはじめようと思ったきっかけはなんですか?
学生時代に行ったニューヨークで、旅行専門の本屋があることを初めて知りました。そのときは記憶に残っただけで、すぐに何かしようと思ったわけではありませんが、大学を卒業して就職した出版社で希望の部門に配属されず、若気の至りで2ヵ月で退社。その後、アルバイトをしては長期の旅に出る生活を5年ほどしているうちに、ロンドンやパリでも旅行専門の本屋を見かけて、自分が好きな旅行と本、両方を組み合わせてできる「旅行の本屋って面白いかも」と考えはじめたのが90年代半ばでした。

── 当時、日本に旅行専門の本屋さんはありましたか?
僕の知る限りなかったですね。最近は本屋になるための本がたくさん出版されていますが、当時は晶文社から出ていた〈就職しないで生きるには〉シリーズの『ぼくは本屋のおやじさん』(早川義夫著)や、『菊地君の本屋―ヴィレッジヴァンガード物語』(永江朗著、アルメディア)くらい。その2冊を読むうちに本屋になる気持ちが固まったので、僕がイメージする“旅の本屋”の形に一番近く、学生時代からよく通っていた神田神保町の「アジア文庫」さんへ働かせてほしいと頼みに行きました。

なにせ突然押しかけたので、採用してもらうことは叶いませんでしたが、そのとき対応してくれた店長さんの「独立して本屋をするなら、まずは基本の知識を身につけないと」というアドバイスがきっかけで、「リブロ」で約7年間、書店員の経験を積み、2003年から吉祥寺にあった「旅の本屋のまど」の店長になりました。
── それから2007年に西荻窪へ移転されたということですね。
いいえ、移転ではなく独立なんです。吉祥寺は旅行代理店の一角にある旅行本の専門コーナーとして営業していた本屋で、オーナーは旅行代理店でした。その旅行代理店が本屋の営業を辞めることになり、自分でイチから旅の本屋をはじめようと心は決まったものの、僕は「旅の本屋のまど」という店名がとても気に入っていて、どうしてもその名前が使いたかった。それで元オーナーに許可を得て、同じ名前の新しい店をニシオギ(西荻窪)でオープンすることにしました。

旅の本屋だけど、ガイドブックは置かない
── この場所はもともと何のお店だったんですか?
古本屋とカフェを併設しているブックカフェでした。中央線沿線で物件を探しているときに、前に来たことがあるそのブックカフェが閉店後に本屋として入ってくれる人を探していることを知って、改めて来てみたら駅から近いし、店の前には小さな公園もある。それに両側の壁にある棚をそのまま使えるのも魅力だったので、ここに決めました。今年の7月で丸14年。ニシオギにしたのは偶然この場所と出合ったからですが、これまで続けてこられたのは、本と本屋が暮らしに根付いているこの街に店を構えたことが大きかったと思います。

── 吉祥寺と西荻窪では、お客さんや売れる本に違いはありますか?
まったく違いますね。ここは圧倒的に女性のお客さんが多くて、8割近くが女性です。吉祥寺時代は40~50代の男性がほとんどで、硬めの旅行記やハードなバックパッカー系の読み物がよく売れていましたが、ここでは料理本や、海外の雑貨・民芸品の本が人気で、エリアで言うと北欧やインド、中央アジア、中南米それにイスラム圏の本がよく動きます。アメリカやハワイの本ももちろん置いていますが、ここではあまり売れなくて、「ウズベキスタンの本、ありますか?」というように、ある意味マニアックなエリアの情報を求めてくる人がたくさんいます。

── そういえば、旅専門の本屋さんなのにガイドブックがありませんね。
そうなんです。基本的にガイドブックは置いてなくて、古本がほんの少しあるくらい。地図、旅行記といったいわゆる旅行本だけでなく、文学や音楽、映画、思想、政治、それにスポーツなどもどこかで旅に関連すると考えているので、旅行の実践本というより、ここに来て旅に出たくなるような、旅への興味につながる本を中心にセレクトしています。ある国について知りたいと思っている人にとって、それが新刊か古本かは関係ない。だから、新刊かどうかは区別しないでエリアや作家ごとに棚に並べています。

旅をすれば、頭の中の情報をアップデートできる
── 自由に旅ができなくなって1年以上経ちますが、以前はどれくらいの頻度で旅をしていましたか?
年に1回海外へ、あと国内に1~2回は行きましたね。最後の海外旅行は、2020年のお正月にイスタンブール経由で行ったジョージア。以前グルジアと呼ばれていたジョージアは、ヨーロッパとアジアの境にある、ひと言で表せないくらい複雑な構造の国でした。街並みはヨーロッパで食べ物は中央アジア。街で目にするのは独自のグルジア文字で、もともとソ連だったからロシアの影響も受けている。オスマントルコやペルシャなど、さまざまな文化と関わってきた歴史も感じられましたし、それに有名なワインもおいしかったです。

── これまで世界中を旅してきた川田さんの一番印象に残っている国はどこでしょう。
最近で言えばロシアですね。1回目はモスクワとサンクトペテルブルク、2回目はウラジオストクに行きましたが治安はいいし、人も親切。3年ほど前に行ったときもキャッシュレスが進んでいて、ほとんど現金を使わずにすみました。それに、いまの若い人は英語もできるし、表情もにこやか。昔の共産圏時代の暗いイメージのまま、情報をアップデートしていない人も多いと思いますが、実際に現地に足を運んでみると、それが思いこみだったことに気づかされます。
匂いや音、雰囲気を肌で感じることで初めてわかることがたくさんあって、それこそが旅の醍醐味です。コロナ禍のいまはそれも叶いませんが、旅の本屋の店主としては少しでも早く旅に出かけられる日が来ることを、そしていつか美術や音楽を楽しむように、日本でも旅を楽しむことが文化のひとつになることを願うばかりです。
川田さんは7~8年前から“宿を併設した旅の本屋”の構想を抱いていたそうですが、残念ながらコロナで計画は立ち消え。事態は一向に改善せず、旅行を取り巻く環境は厳しいままですが、一方でテレワークが進むなど、思いのほか早く働き方が変わってきているようにも感じます。コロナ収束後に、以前より長い休みが取れるようになり、文化としての旅を楽しめるようになれば……。いまは準備しかできませんが、ガイドブックやネット情報では得られない空想旅行の材料となる世界各国の本が、「旅の本屋のまど」にはたくさんあります。


旅の本屋のまど 川田さんのおすすめ本

『世界の台所探検 料理から暮らしと社会がみえる』岡根谷実里おかやねみさと著(青幻舎)
世界各地の台所をめぐっている著者が、16ヵ国の家庭の台所に入り、食事を一緒に作って食べることで、現地の生活を紹介しています。ヨルダン、コソボ、パレスチナなど、日本人があまり旅先に選ばないところへ行っているのも興味深いですし、レシピ付きなので、自宅にいながらにして、世界各国の家庭の味に挑戦できるのも魅力です。

『ビートルズとストレスマネジメント』松生恒夫まついけつねお著(春陽堂書店)
ビートルズに関する本はたくさんありますが、この本は彼らがストレスフルな体験をどのように乗りきったかという視点で語られているのが面白い。なかでも旅専門の本屋としては、やはり第2章「ビートルズ、“魂”の旅」に惹かれます。彼らはインドで多大な影響を受けるわけですが、それだけ旅は人に大きな力を及ぼすということを再認識できます。

旅の本屋のまど
住所:167-0042 東京都杉並区西荻北3-12-10司ビル1F
電話番号:03-5310-2627
営業時間:13:00~20:00(日・祝:~19:00)※当面の間
定休日:水曜
http://www.nomad-books.co.jp/

プロフィール
川田正和(かわた・まさかず)
1967年、神奈川県生まれ。大学を卒業後、出版社に就職するもほどなくして退社。アルバイトでお金を貯めては世界各国へ長期の旅を繰り返すうちに、旅行専門の本屋をはじめようと決意して、書店員を経験したのち、2003年に吉祥寺の旅行代理店内にあった「旅の本のまど」店長に。同店閉店を機に、独立し、2007年7月に西荻窪に「旅の本のまど」をオープン。
写真 / 隈部周作
取材・文 / 山本千尋
この記事を書いた人
春陽堂書店編集部
「もっと知的に もっと自由に」をコンセプトに、
春陽堂書店ならではの視点で情報を発信してまいります。