スポーツ文化評論家 玉木正之

日大アメフト部の悪質タックル問題から角界の貴乃花親方引退まで、相次ぐスポーツ界の問題はスポーツに対する「無知」が原因!?
数多くのTV番組に出演し、多岐に渡って活躍するスポーツ評論家・玉木正之さんが、文化としてのスポーツの誕生と、その魅力を解き明かします。


レスリングはなぜ、
相手のユニフォームをつかんではいけないの?
 今回もクイズの正解から書いておこう。
 ボクシング(boxing)とは、どういう意味か?
 その答えは簡単だ。ボックス(box)という英語には、もちろん「箱」という意味もあるが、英和辞典を引けば一目瞭然。そこには「殴る」という意味も記されている。日本では、その意味よりも、「箱」という訳語の方が一般に浸透した結果、「ボクシングとはどういう意味?」と、日本人にきいてみると、一瞬驚き、どう答えていいかわからないまま、「四角い箱の上で行うからボクシングなのかな?」と答える人がもっとも多い。が、残念ながら、あの「四角いジャングル(箱)」は、「リング(ring[輪])」と呼ばれている。
 では、なぜロープで四角く囲まれた空間が、「リング(輪)」と呼ばれているのか?
 それは、現在のロープで囲まれたリングがルールで規定される19世紀半ばごろまで、ボクシングが土俵のような円形の中で行われていたからだ。古代の格闘技や、19世紀までの格闘技(ストリート・ファイト)では、闘う2人の周囲を見物人が丸く囲んでいたため、闘いの場が「リング」と呼ばれるようになった。そして、周囲をロープで四角く囲むようになってからも、「リング」という名称は受け継がれたのだ。20世紀になって、アメリカでアルミ管をカーブさせて作った丸いリングが使われたこともあったようだが、エキシビジョンで使われただけに終わったようだ。日本の相撲は、戦国時代の頃までは、闘う2人の力士の周囲を大勢の力士が丸く囲む、「人方屋(ひとかたや)」と呼ばれる場所で行われていた。それが江戸時代になり、円形の土俵になったとされている。格闘技はほぼすべてが、丸い空間で行われていたようだ。それゆえに、リングサイド、リングネーム、リングアナウンサー……など、いろいろな名称も生まれている。
 では、ボクシングと同じようなリングを使っているプロレス(プロレスリング)や、かつては四角かったスペースが丸く変わったアマレス(アマチュア・レスリング)は、どうして相手の着衣をつかんではいけないのか?
 この疑問も、英語に堪能な人ならわかるはずだが、wrestle(取っ組み合う、揉み合う)という言葉は、もともと「動物がじゃれ合う」という意味から派生したもの。だから、動物同士の闘いが基本になっている。動物は衣服を身につけていないから、人間同士のレスリング(wrestling)も、「相手の着衣をつかんではいけない」というルールになったといわれている。また、動物は相手をパンチの一撃で倒したりしないから打撃系の技が禁止になり(ライオンの放つ猫パンチは相当に強いらしいが)、関節を絞める技も動物はやらないから禁止になる。結果として、ヘッドロック、ブレーンバスター、羽交い締め(フルネルソン)、ベアハッグ(鯖折り)、コブラツイスト、スープレックス(そり投げ)……など、動物を相手にしても有効な技ばかりで構成されているようだ。
 だから、レスリングが最も原始的、動物的な格闘技であり、着衣や回しをつかむ柔道や相撲は、人間同士の闘いと言える。また、古くは「猫パンチ」のようなオープンブロウも許されていた、グローブを着用せず素手で対戦するベアナックル・ボクシングは、近代に入ると、初代ベアナックル・ボクシング王者のイギリス人、ジェームズ・フィグの発案によって、相手へのダメージが最も大きいナックルパート(拳の正面の関節部分)のみを用いるルールとなった。近代ボクシングも、きわめて人間的な、比較的新しく生まれた格闘技なのである。


『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう!』(春陽堂書店) 玉木正之(著)
本のサイズ:四六判/並製
発行日:2020/2/28
ISBN:978-4-394-99001-7
価格:1,650 円(税込)

この記事を書いた人

玉木正之(たまき・まさゆき)
スポーツ&音楽評論家。1952年4月6日、京都市生まれ。東京大学教養学部中退。現在は、横浜桐蔭大学客員教授、静岡文化芸術大学客員教授、石巻専修大学客員教授、立教大学大学院非常勤講師、 立教大学非常勤講師、筑波大学非常勤講師を務める。
ミニコミ出版の編集者等を経てフリーの雑誌記者(小学館『GORO』)になる。その後、スポーツライター、音楽評論家、小説家、放送作家として活躍。雑誌『朝日ジャーナル』『オール讀物』『ナンバー』『サンデー毎日』『音楽の友』『レコード藝術』『CDジャーナル』等の雑誌や、朝日、毎日、産経、日経各紙で、連載コラム、小説、音楽評論、スポーツ・コラムを執筆。数多くのTV番組にも出演。ラジオではレギュラー・ディスクジョッキーも務める。著書多数。
http://www.tamakimasayuki.com/libro.htm
イラスト/SUMMER HOUSE
イラストレーター。書籍・広告等のイラストを中心に、現在は映像やアートディレクションを含め活動。
http://smmrhouse.com